昼休みから会社へ戻った瞬間、俺は足を止めた。
階段の踊り場で、清掃員の制服を着た母が、若い女性に何度も頭を下げていた。床には倒れたバケツ。汚れた水が広がり、その女性の高そうなスーツは前面まで濡れていた。
「どうしてくれるのよ! 大事なスーツなのに!」
怒っていたのは、社長の娘である加保さんだった。社内では“社長令嬢”として腫れ物のように扱われている人だ。
俺とはほとんど面識がない。だが、母が彼女に水をかけてしまったことだけは、見ればすぐにわかった。
母は俺を女手一つで育ててくれた。パートも派遣も掛け持ちし、俺の学費のために何度も頭を下げてきた人だ。俺が大手企業に就職した後も、「奨学金を返さなきゃいけないでしょう」と言って働き続けた。そして偶然、清掃員として俺の会社に配属された。
俺は慌てて駆け寄り、母の隣で頭を下げた。
「申し訳ありません。この人は俺の母なんです。クリーニング代は必ずお支払いします。どうか、クビだけは勘弁してください」
加保さんは俺の顔を見た。俺の頬には、子どもの頃の火傷の跡が残っている。彼女は一瞬、何かを思い出したような表情を浮かべたが、何も言わずに去っていった。
それから二週間、会社の空気は重かった。俺は「社長の娘を怒らせた社員」として遠巻きにされ、母もすっかり落ち込んでいた。
そしてついに、俺と母は社長室へ呼び出された。
解雇か。処分か。
覚悟を決めて入室すると、そこには社長と加保さんがいた。俺と母は深々と頭を下げた。
「この度は、本当に申し訳ございませんでした」
だが、返ってきた社長の声は意外なほど穏やかだった。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=2WA4V3lEAcQ,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]