1999年1月17日、長野県の山あいにある企業の新人研修所。窓の外は前日からの雪で真っ白に染まっていた。3泊4日の合宿研修、2日目の夜。同期入社の8人は、消灯後もこっそり大部屋に集まって、明日のグループ発表の資料を確認していた。
輪の中に、宮下拓也の姿はなかった。
「先に部屋戻るって言ってたよな」
同室だった立花が、そう答えた。
午後11時過ぎ、宮下は「頭が痛いから先に休む」と言い残し、談話室を出て行ったという。それが、誰かが宮下の声を聞いた最後だった。
翌朝6時、同室の立花が目を覚ますと、宮下のベッドは空だった。財布も上着も、研修用の資料も、机の上にきれいに置かれたままだった。布団は畳まれていて、誰かが一晩寝た形跡すらなかった。
研修所の職員が敷地内を確認すると、玄関から続く小道にも、裏口にも、駐車場にも、彼の足跡はどこにも見当たらなかった。前夜からの雪は明け方まで降り続いていて、新雪の上に足跡が消える可能性はなかった。研修所の周囲は一本道の山道が続くだけで、深夜にタクシーが入ってくる場所でもない。
当時の管理人は「あの時間、バスも通っていない。歩いて出て行ったなら、必ず足跡が残るはずだ」と繰り返し証言した。
長野県警による捜索は3週間続いた。周辺の山道、沢、廃屋まで捜索犬が入ったが、手がかりはひとつも出なかった。研修所の食堂で使われる灯油タンクの陰、裏山の炭焼き小屋の跡、凍った小川の底まで確認されたが、宮下の姿はどこにもなかった。
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