出張から3日早く帰国した夫が家に着くと、キッチンから怒声が響いていた。「弟のために取っておいた5万円のスープを飲んだんだから、今日はこの生ゴミを舐め回してもらうよ。」妊娠6か月の私は、義母に髪を掴まれ、床に膝をつかされていた。目の前には生ゴミの入った三角コーナー。前の晩、二日酔いで帰ってきた義弟のために用意されていたスープだと、私は知らなかった。
「知らなかった、ごめんなさい」と繰り返したが、義母は手を止めなかった。
物音に気づいて振り返ると、夫が廊下に立っていた。夫は怒鳴らなかった。無言でスマートフォンを取り出し、その光景を静かに撮影した。義母はまだそれに気づいていなかった。
夫は私を抱き上げ、そのまま病院へ運んだ。診断は、強いストレスによる子宮の収縮。安静が必要だと医師に告げられた。処置室の外で、夫はずっと私の手を握っていた。
夫の実家は昔から裕福ではなかった。若い頃、夫は働きながら家業を支え、母と弟の生活費を送り続けてきた。会社を興してからは、実家に家を買い、毎月まとまった生活費を渡していた。それでも義母は、私を「よそから来た女」として扱い、家事のすべてを押しつけてきた。
私は波風を立てまいと、ずっと黙って耐えてきた。妊娠してからも、その扱いは変わらず、むしろひどくなっていった。
その夜、夫は実家に戻り、義母と向き合った。義母は「女のしつけだ、少し叱っただけだ」と言い訳を重ねたが、夫は録画した映像を見せ、静かに告げた。「これが、あなたの言う“しつけ”ですか。」義母の顔から血の気が引いた。
夫はその場で、義母と義弟名義になっていた口座やカードをすべて凍結する手続きを進めた。
これまで肩代わりしてきた生活費も、今日を最後に打ち切ると告げた。義母は泣きながら「育ててやった恩を忘れたのか」と繰り返したが、夫は表情を変えなかった。「妻と子供を守れなかった時点で、僕はもう迷いません。」
義母と義弟は、その後まもなく家を出ることになった。詳しい生活の様子は、私たちにはもう分からない。あの日以来、義母から何度か電話があったが、夫は出なかった。
私も、もう関わりたいとは思わなかった。
退院した後、夫は私に何度も謝った。「もっと早く気づいていれば」と。でも私は、あの瞬間夫が怒鳴らずに証拠を残してくれたことに、今でも救われている。感情のままに怒っていたら、きっと何も変わらなかったと思う。
半年後、娘が生まれた。夫は毎晩、娘を抱きながら「もう二度と、誰にも同じ思いはさせない」と呟く。私たちの家には今、静かで穏やかな時間だけが流れている。あの日の生ゴミの匂いは、もう思い出す必要のない、遠い過去になった。