高梨翔太、28歳。東京都大田区の小さな町工場「高梨製作所」で、祖父と2人の職人とともに金属加工を続けている。この工場はもう潰れかけていた。主要取引先からの発注が減り続け、通帳の残高は家賃3か月分すら怪しい状態。それでも翔太は、5つの工場に断られ続けてきた車椅子の女性の目を見て、そう言い切ったのだ。
大田はかつて「ものづくりの聖地」と呼ばれた町だった。
最盛期には9000を超える町工場がひしめいていたが、今その数は3分の1以下にまで減っている。高梨製作所の従業員は、祖父の哲、ベテラン職人の田所、そして翔太のたった3人。ミクロン単位のずれも許さない精度の高さが、この小さな工場の唯一にして最大の武器だった。
しかし取引先である三上重工の黒田部長は、あるとき図面を広げてこう言った。「もっと安い素材に変えてくれ。精度もそこそこでいい」。翔太は答えた。「精度を落とした部品は出せません。人の体を支える機械にも使われているんです」。黒田は鼻で笑った。「だったら他の安い工場に回すだけだ」。
その日を境に発注は減り続けた。月に10件あった注文が3件になり、旋盤の回る時間は日に日に短くなっていった。
田所は「品質を落とすのは俺だって嫌だ。でも正しいだけじゃ飯は食えねえんだよ」とこぼした。翔太は何も返せなかった。両方とも紛れもない事実だったからだ。
工場の壁には、60年前に祖父が張った1枚の紙がある。日に焼けて色が変わった紙には「正直商売」の4文字。ただ正しい仕事に務めよう、という祖父の決意だった。追い詰められたある夜、祖父は静かに言った。
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