「お会計、86万940円です」
深夜、タクシーを降りようとした私は、料金表示を見たまま固まった。
乗ったのは駅前から自宅までの約11キロ。
乗車時間は25分ほどで、配車アプリに表示されていた概算料金も4300円から5200円だった。
それなのに、運転手が差し出した領収書には「合計86万940円」と印字されている。
内訳はメーター運賃91万3500円、遠距離割引9万850円、ETC料金3万8290円。
高速道路には一度も乗っていない。
「この金額、おかしくないですか?」
私が尋ねると、運転手は領収書を一度見ただけで、
「メーターに出ている金額ですから、払ってもらわないと困ります」
と言った。
「25分で86万円ですよ?」
「払えないなら、警察を呼びますよ」
威圧するような口調だったが、私は財布を出さなかった。
スマートフォンで料金表示と領収書を撮影し、配車アプリの乗車地点、到着時刻、走行経路も保存した。
「分かりました。では、警察を呼んでください」
私がそう返すと、運転手の態度が変わった。
「そこまでしなくても、会社に確認すれば……」
「先ほど警察を呼ぶと言いましたよね。第三者に確認してもらいましょう」
10分後、警察官が到着した。
私は乗車履歴と位置情報を見せ、高速道路を利用していないことを説明した。
警察官が運転手に、
「なぜETC料金が3万8290円も加算されているのですか」
と尋ねると、運転手は答えられなかった。
その場で営業所へ連絡すると、責任者が車載端末の運行記録を確認した。
そして原因が判明した。
この領収書に印字された金額は、今回の乗車分ではなかった。
車両点検後に端末へ残っていた長距離運行の試験データを正しく消去しないまま、領収書を発行していたのだ。
現在の乗車記録に残っていた正しい料金は4760円。
責任者は電話口で何度も謝罪し、
「86万940円を請求する根拠は一切ありません」
とはっきり認めた。
さらに、異常な金額を確認せず支払いを迫った運転手については、社内調査と再教育を行うという。
私は正規料金4760円だけを支払い、訂正された領収書を受け取った。
数日後、タクシー会社から、原因と再発防止策を記した謝罪文も届いた。
あのとき「警察」と言われて怖くなり、カードを差し出していたら、話はもっと複雑になっていただろう。
機械に表示された数字でも、明らかにおかしければ確認する。
そして、相手が警察を持ち出したなら、こちらも冷静に「呼んでください」と答える。
86万円の請求を4760円に戻したのは、大声でも脅しでもない。
走行履歴と領収書という、消せない記録だった。