静まり返ったリビングで、妻のすすり泣く声だけが響いている。テーブルの上に置かれたのは、先ほど突きつけたばかりの「離婚届」だ。
「この年になって、今さら一人になれっていうの? あなた、ひどすぎるわ……」
妻の目からは大粒の涙がこぼれ落ちている。かつては慈しんだその涙も、今や僕の心に何の感慨も呼び起こさない。いや、むしろ強い不快感と、冷めた感情だけが胸の奥で渦巻いている。
物語の始まりは、些細な違和感だった。ここ数ヶ月、妻の帰りが遅い。残業と言いながら、服装は以前よりも派手になり、スマホを隠すように操作する回数が増えた。長年連れ添った夫婦なら、相手のわずかな所作の変化で「何かがある」と直感するものだ。
確信を得たのは、先週のことだった。偶然目にしてしまった妻のスマホの通知。そこには、親しげな男の名前と、到底夫婦間では交わされないような甘い言葉が並んでいた。信じていた分だけ、突き落とされた時の衝撃は強烈だった。探偵を雇い、証拠を揃えるまで、僕はあえて「鈍感な夫」を演じ続けた。
そして今日、すべての証拠を突きつけたのだ。
「ひどい? 悲劇のヒロインを演じるのはもう終わりにしてくれ」
僕は努めて冷静に、しかし断固とした口調で告げた。
「君がこの家庭を壊したんだ。僕への裏切りを重ね、平然と笑って食卓を囲んでいたのは君だろう。僕はただ、君が自ら望んだ結末を用意しただけだ」
妻は言葉に詰まり、肩を震わせる。今さら「過ちだった」「魔が差しただけ」と言い訳を並べるつもりだろうか。しかし、一度失った信頼を埋める術は存在しない。
結婚生活という名の共同プロジェクトにおいて、裏切りという名の重大な瑕疵を犯した以上、契約解除は必然的な結末なのだ。
「もう子供も自立した。僕たちの義務はもう終わっているんだよ。これからは、君が選んだ『新しい生活』を歩めばいい」
僕はペンを置き、立ち上がった。妻の涙の理由は、純粋な後悔ではなく、これまでの安泰な生活を失うことへの恐怖に過ぎない。
自分勝手な理屈で人生を狂わせた代償は、あまりにも大きい。
「明日の朝までには出て行ってくれ。それが、僕からの最後の誠意だ」
背後に視線を感じながら、僕は書斎のドアを閉めた。窓の外には、すでに夜の帳が下りている。離婚という決断を下した今、胸を締め付けていた重苦しい靄が晴れていくのを感じる。過去を清算し、新しい人生のページをめくる。その重圧と、わずかな開放感が、僕の今後の人生を形作っていくことだろう。
窓ガラスに映った自分の顔は、驚くほど冷静だった。この決断が、僕にとっての「再出発」であることは間違いなかった。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=4jNglntw5Bk,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]