「美容院代、贅沢じゃないか?」
夫は、私の美容院の領収書を見てそう言った。
その手には、先週届いたばかりの釣り具のカタログが握られていた。新しいリールを買ったばかりだということは、私も知っていた。
結婚してから十年、家計は基本的に私のパート代でやりくりしてきた。月に十二万円ほど。そこから食費も、日用品も、子どもの学用品も出していた。
光熱費や保育料も、私の口座から引き落とされていた。
夫の給料は、夫自身の口座で管理されたままだった。ボーナスの金額さえ、私はきちんと聞いたことがなかった。
「俺の稼いだ金だから、好きに使わせてくれよ」
それが口癖だった。何を話し合っても、最後は必ずそこに戻ってくる。
ある月、家計簿をテーブルに広げて、正直に伝えた。
「このままだと、貯金がまったくできないの」
夫は数字を一瞥しただけで、面倒くさそうに生返事をした。
「そんな細かいこと、気にしなくていいだろ」
その夜、子どもたちが寝たあと、私は引き出しの奥から古い通帳を取り出した。結婚する前、自分名義で作っていた口座だった。残高はほとんど残っていなかったけれど、久しぶりに開いてみることにした。
翌日から、私は自分のパート代を、生活費とは別に少しずつその口座へ移すことにした。派手なことは何もしていない。ただ、毎月決まった額を、誰にも言わずに積み立てただけだった。
半年ほど経ったころ、子どもの入学準備でまとまったお金が必要になった。夫に相談すると、いつものように「そっちで何とかしてくれ」という返事だった。
私は黙って、自分の口座から必要な分を出した。
そのやり取りを見て、夫は初めて不思議そうな顔をした。
「今月、そんなに余裕あったっけ」
私はそこで、初めて半年分の家計簿と、自分でつけていた収支のメモを見せた。夫の趣味にかけている金額と、私が切り詰めてきた金額を、数字で並べて見せた。釣り具だけで半年間に十八万円、私の美容院代は一度も三千円を超えたことがなかった。
夫はしばらく黙って、紙を見つめていた。
「……そんなに、差があったのか」
その日を境に、すべてが劇的に変わったわけではない。それでも、夫は釣り具にかける金額を少し減らし、毎月決まった額を家計に入れるようになった。
完全に対等になったとは言えない。それでも、黙って我慢するのではなく、自分の分を自分で守るという小さな決断が、家の中の空気を少しずつ変えていった。
今でも、あの通帳は私の名義のまま、机の引き出しの奥に入っている。何かあったときの安心材料として、今もこつこつと積み立て続けている。
大きな喧嘩をしなくても、数字を並べて見せるだけで伝わることがあるのだと、この一件で知った気がする。