58歳の私は、夫を早くに亡くし、娘の明りを1人で育てました。
日雇い仕事から始め、埼玉で小さな建築資材店を持つまで働き続けました。
その一人娘が結婚し、夫の大機とアメリカへ移住。
孫のハルトが生まれて数年後、ある夜、明りから泣きながら電話が来ました。
「仕事と子育てで限界なの。数か月だけ助けに来て」
私は店も穏やかな日本での生活も後にして、アメリカへ向かいました。
ところが到着してみると、聞いていた話とは違いました。
「生活が苦しい」と言っていた娘夫婦は、大きな家に住み、高級車を持っていました。
それでも私は疑いを飲み込みました。
娘が疲れているなら、母親である自分が支えればいい。
そう思っていたのです。
やがて私には、毎日の仕事を書いたリストまで渡されました。
料理、洗濯、掃除、アイロン、孫の送り迎え、買い物、庭の手入れ。
朝5時半から動き、腰や膝が痛んでも休めません。
大機からは、
「家で飯を食って掃除するだけでしょう」
とまで言われました。
さらに夜、私は夫婦の会話を聞いてしまいます。
大機は私を「無料の働き手」と呼び、埼玉の家や店まで事業資金に使わせようとしていました。
もっと苦しかったのは、明りが止めなかったことです。
「私が泣けば、お母さんはお金を出してくれる」
娘自身の言葉を聞き、私は初めて、自分の愛情が利用されていたと知りました。
その後、口座を確認すると、娘夫婦の住宅費や車、子どもの学費、買い物などに、私のお金が長く使われていたことも分かりました。
それでも孫のハルトだけは別でした。
5歳の子に罪はありません。
ある午後、私がハルトを風呂に入れていると、彼が突然言いました。
「おばあちゃんがいなくなったら、埼玉の大きな家は全部ハルトのおもちゃになるんだって」
そして、
「お父さんが社長になるために、おばあちゃんからお金をもらえるように機嫌を取れって」
と続けました。
私は凍りつきました。
大人の欲が、何も知らない孫にまで染み込んでいたのです。
その後も大機は、私の家を使って金を作ろうとし、読めない英語の書類に署名まで求めました。
私はすべて拒否しました。
そして日本にいるシゲルさんへ電話しました。
「私、家に帰りたい」
彼はただ、
「帰っておいで」
と言ってくれました。
私は最も早い帰国便を予約しました。
日本へ戻る日、娘夫婦には援助を止めることを告げました。
私は娘の母親です。
けれど、娘夫婦の財布でも、無料の家政婦でもありません。
孫のあの一言は残酷でした。
でも同時に、私が自分の人生へ戻るために必要だった最後の合図でもあったのです。