2005年8月14日、瀬戸内海に浮かぶ小さな島々を結ぶ、定員80名ほどの定期船。乗客名簿には、その日の午前便に乗った大学生・日高遥、24歳の名前があった。実家のある島へ帰省する途中だったという。
午後1時20分、船は次の寄港地に到着した。降りる乗客の名前が乗務員によってひとりずつ確認され、遥の名前も名簿にチェックが入った。
しかしその後、迎えに来ていた家族が待合所を探しても、遥の姿はどこにもなかった。
乗務員はすぐに船内を確認したが、客室にも、デッキにも、彼女は見当たらなかった。荷物棚には、彼女のものと思われるボストンバッグが手つかずのまま残されていた。中身は着替えと、実家へのお土産らしい菓子折りだけで、争ったような形跡は何もなかった。
海上保安部による捜索が始まった。巡視艇と地元漁船による捜索網が敷かれ、潜水士が船の航路に沿って海底まで確認した。当時の潮の流れと水温を考えれば、万が一海に転落していたとしても、数日以内に何らかの痕跡が見つかるはずだと専門家は話していた。しかし1週間、2週間と経っても、遺体はおろか、彼女のものと思われる持ち物すら、海岸のどこにも打ち上げられなかった。
同じ便に乗っていた乗客への聞き取りも行われたが、遥を見かけたという証言は数件出たものの、下船の瞬間を見たという人物は誰ひとり見つからなかった。当時の乗務員は、下船時に乗客数を目視でざっと数え、名簿にチェックを入れるという簡易な確認方法をとっていたことも、後の調査で分かっている。
「下船した記録があるのに、姿が見つからない」という矛盾だけが残り、捜索は次第に縮小されていった。
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