「遺産の五億は、麗華に渡す。お前は離婚届にサインしろ」
癌で余命半年だと告げた夫の博之は、リビングのソファにふんぞり返ったまま、私に一枚の紙を差し出した。
そこには、すでに夫の署名と印鑑が入っていた。
普通なら泣き崩れる場面だったのかもしれない。
けれど私は、その離婚届を静かに受け取った。
「わかった。今すぐ役所に提出するね」
私があまりにもあっさり答えたせいか、博之は目を見開いた。
「は? 本気で言ってるのか?」
本気に決まっている。
むしろ私は、この瞬間を待っていたのだ。
博之と結婚したのは、私が二十八歳の時だった。
彼は義父の清明さんが一代で築いた会社を継いだ二代目社長で、人前では堂々としていて、話も上手だった。
けれど実際の彼は、世間知らずのお坊ちゃまだった。
電車の切符も買えず、自動販売機は勝手に飲み物が出てくるものだと思っていたほどで、私はそんな不器用ささえ愛しいと思っていた。
やがて娘と息子にも恵まれ、外から見れば何不自由ない家庭に見えたはずだ。
しかし結婚から十五年が過ぎた頃、博之は急に帰宅が遅くなった。
出張も増え、スーツにはいつも同じ甘い香水の匂いが残るようになった。
「接待の店でついただけだ」
そう言う彼の目は、明らかに泳いでいた。
私は問い詰めたい気持ちを抑えた。
娘は高校受験を控え、息子も思春期に入っていた。
家庭を荒らしたくなかった私は、何も知らないふりを続けた。
そんなある日、博之が青ざめた顔で帰宅した。
「俺、癌らしい。余命半年だと言われた」
その言葉を聞いた瞬間、私はすべての疑念を忘れて泣いた。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=ufxANsJ5yAM,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]