「お祝い金だけ置いて帰ってくれませんか」
その一言を聞いた瞬間、私の中で何かが静かに壊れました。
6年間、孫のために毎月欠かさず学費を援助してきた私。しかし、孫の晴れ舞台である卒業式には「家族ではない」という理由で呼ばれなかったのです。
しかも最前列の席に座っていたのは、学費を一円も負担していない嫁の両親でした。
私はその日、決めました。
もう誰かのために犠牲になる人生は終わりにしよう、と。
私は村山明美、71歳。
40年間、総合病院で看護師として働き、最後の10年間は看護師長として多くの命と向き合ってきました。
夫の雪則も、建設会社の現場監督として35年間真面目に働いた人でした。
8年前、胃がんで夫を亡くした時、彼は最後まで私の心配ばかりしていました。
「俺がいなくなっても、幸せに暮らしてくれよ」
それが夫の最後の言葉でした。
夫が残してくれた家と貯金、そして私自身の退職金と年金。贅沢はできなくても、穏やかに暮らせるだけの生活はありました。
庭には、夫と一緒に植えた紫陽花があります。
毎年、梅雨になると青や紫の花を咲かせ、私はそれを眺めながら夫を思い出していました。
そんな私には、一人息子の良樹がいました。
43歳で電気メーカーの営業課長。優しく真面目な子でした。
ただ、昔から少し気が弱く、人に強く言われると断れない性格でした。
その妻のマリは40歳。
結婚当初は礼儀正しく、「お母さん、これからもよろしくお願いします」と頭を下げる姿を見て、私は安心していました。
そして、二人の間には可愛い孫のリアがいました。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=zLgoCYRluE8,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]