夫とホームセンターへ買い物に行った日のことだった。
必要な日用品をカートに入れ、私たちはレジの列に並んでいた。
休日の店内は混雑しており、前には10人ほどの客が待っていた。
その時、夫が少し離れた売り場を見ながら、小声で言った。
「なあ、あれ見て。さすがにあり得へんわ」
視線の先には、特売用に何段も積まれた米袋があった。
その一番上に、父親らしき男性が腰掛けていた。
隣には小学生くらいの女の子。
父親も娘も、周囲を気にする様子もなく、それぞれスマホを見ている。
女の子は米袋の上で足をぶらぶらさせ、靴底が何度も袋に触れていた。
その米は、誰かが買って家族で食べる商品だ。
椅子でもベンチでもない。
私は思わず眉をひそめた。
夫も呆れた声でつぶやいた。
「どういう教育を受けたら、売り物の米に座れるんやろな」
決して大声ではなかった。
それでも、私たちの前に並んでいた女性が突然振り返った。
私は一瞬、聞こえてしまったのかと思った。
女性は私たちを一度見たあと、米売り場へ視線を向けた。
すると、その表情がみるみる険しくなった。
次の瞬間、女性は買い物かごを床に置き、レジの列から離れた。
そして早足で親子のもとへ向かった。
「何してるの!」
店内に、女性の鋭い声が響いた。
父親と女の子は驚いて顔を上げた。
どうやらその女性は、親子と一緒に来ていた母親だったらしい。
「そこは椅子じゃないでしょ。売り物よ。今すぐ降りなさい!」
女の子は慌てて米袋から降りた。
ところが父親は、スマホを持ったまま不満そうに答えた。
「少しくらいいいだろ。
袋に入ってるんだから」
すると女性は、さらに厳しい口調で言った。
「自分が買う米の上に、知らない人が靴で乗っていても平気なの?」
父親は黙り込んだ。
周囲にいた客も、全員そのやり取りを見ていた。
遅れて店員も駆けつけ、米袋に破損や汚れがないか確認を始めた。
女性は店員に頭を下げたあと、夫に向かって深くお辞儀をした。
「教えてくださって、ありがとうございました」
夫は少し戸惑いながら、
「いや、俺はただ見たことを言っただけなので」
と答えた。
女性は父親と娘にも、店員へ謝るよう促した。
先ほどまで平然としていた2人は、周囲の視線を浴びながら小さな声で謝った。
レジへ戻った女性は、ため息交じりに言った。
「身内だからこそ、見逃したら駄目ですよね」
私は静かにうなずいた。
悪いことをしている人へ注意するのは、勇気がいる。
けれど、誰かの一言で初めて気づけることもある。
夫は特別なことをしたつもりはなかったようだ。
それでも私は、会計を終えたあと、夫の背中を軽く叩いた。
「今日のあなた、グッジョブ」
夫は少し照れながら、黙ってカートを押し始めた。