山下悦子、七十歳。私は長年暮らしてきた都内の一軒家で、静かな老後を送るはずでした。
その家は、亡き夫・宗一郎と二人で夢を描きながら建てた大切な場所です。庭には宗一郎が植えた金木犀があり、秋になると優しい香りが家いっぱいに広がりました。夫を亡くした後も、私は看護師長として四十年間働いた経験と、残された財産を頼りに穏やかに暮らしていました。
息子の裕也一家がこの家で暮らすようになったのは、家族を支えたいと思ったからです。二世帯住宅へのリフォーム費用一千二百万円も私が負担し、固定資産税や修繕費も払い続けました。
さらに、裕也の家計を助けるため、毎月十万円の援助を続け、孫の弘人の私立高校の学費、スマホ代、塾代、部活動費まで負担していました。
小さい頃の弘人は「ばあちゃん大好き」と抱きついてくる優しい子でした。運動会で一等賞を取った時、満面の笑顔でメダルを見せてくれた姿は、今でも忘れられません。
しかし、宗一郎が亡くなってから、家の空気は少しずつ変わりました。
嫁の美奈子は「二階は私たちの場所なので、勝手に来ないでください」と言い、いつの間にか階段には仕切りまで置かれていました。
そして高校生になった弘人は、まるで別人のようになりました。
「ばあちゃん」ではなく「おい」と呼び、必要なお金だけを要求するようになったのです。
「来月の部活代、出しとけよ」
感謝の言葉は一度もありませんでした。
ある日、私は偶然、美奈子が弘人に話している声を聞きました。
「おばあちゃんはお金を持っているんだから、上手に頼ればいいのよ」
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=6oWB8rbCO2U,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]