二十人分の還暦祝い料理を、たった一人で作り上げた私に向けられたのは、感謝の言葉ではありませんでした。
「お母さん、片付けたら帰ってくれる?」
その瞬間、私はようやく気づいたのです。
私は家族として必要とされていたのではなく、都合のいい存在として扱われていただけだったのだと。
私は中原靖子、六十八歳です。
神奈川県の静かな住宅街で、夫が残してくれた古い一軒家に一人で暮らしています。
この家は、夫の憲行と三十五年前に選んだ大切な場所でした。
庭には、夫が植えてくれた木があります。春になると小さな花を咲かせ、今でも私に昔の温かな日々を思い出させてくれます。
憲行は八年前、心筋梗塞で亡くなりました。
無口でしたが、誰よりも家族を大切にする人でした。
私が料理を作ると、必ず台所へ来て味見をしてくれました。
「靖子、今日の料理も美味しいな」
そう言って笑う姿が、私は大好きでした。
夫を失った後、何もする気力がなくなった時期もありました。
それでも私は包丁を握り続けました。
料理をしている間だけは、夫がそばにいるような気がしたからです。
私は三十八年間、ホテルの厨房で働いてきました。
都内のシティホテルで料理長を務め、宴会料理から高級コース料理まで、数百人規模の料理を何度も手掛けました。
若い料理人を育て、厨房全体を任される立場にもなりました。
包丁を握ること。
それが私の誇りであり、人生そのものでした。
そんな私には、一人息子の聖夜がいます。
幼い頃の聖夜は優しい子でした。
「お母さんのご飯が世界一好き」
そう言って笑ってくれた小さな息子との時間は、私にとって何よりの宝物でした。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=bK6RN01Km70,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]