夫の浮気は、十年にわたって続いていた。最初の数年は疑念に過ぎなかった。帰宅が遅い。香水の匂いが混じる。スマートフォンを伏せて置く。休日に突然「会社の用事」と外出する。小さな違和感の断片が、ある日ふいに一本の線になった。
決定的だったのは、夫が浴室にスマートフォンを持ち込んだ夜だ。通知が鳴り、画面に浮かんだ短い文——「また会いたい」。
その瞬間、私の中で何かが冷えた。怒りより先に、理解が来た。夫は変わらない。謝っても、泣いても、言い訳をしても、結局また繰り返す。ならば私が変えるべきは、夫ではなく、自分の立ち位置だった。
私は騒がなかった。問い詰めもしなかった。代わりに記録を取り始めた。日時、行動、会計明細、ホテルの領収書の断片。夫が「残業」と言って家を出る夜、私は淡々とカレンダーに印をつけた。心は痛んだが、痛みはやがて“確信”に変わった。感情は揺れる。だが証拠は揺れない。
十年目の冬、私は準備を終えた。弁護士に相談し、財産分与の見込みを整理し、必要な書類を揃えた。夫が気づかないのは、私が何も知らないからではない。
私が「知っている」と言わないからだ。夫はそれを“許されている”と勘違いしていた。
そして、その日が来た。
夫はネクタイを締めながら、いつものように軽い口調で言った。
「今日も残業だから。先に寝てていいぞ」
私は食卓に並べた料理を見つめた。肉じゃが、味噌汁、焼き魚。夫の好物ばかり。十年間、私は何度、この献立で夫を迎えたのだろう。
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