「早く行けよ! 青になってるだろ!」
夜の交差点で、後ろの車がクラクションを鳴らした。
先頭にいた白い軽自動車は、青信号になっても動かない。
次の瞬間、車体が小さく揺れ、エンジンが止まった。
どうやらマニュアル車らしい。
もう1度エンジンをかける。
少し進む。
また止まる。
後続車のクラクションが、さらに大きく響いた。
「こんな場所で練習すんなよ!」
窓を開けた男性が怒鳴った。
軽自動車の運転手は、何度も頭を下げていた。
そのとき、私は車の後ろに貼られた紙に気づいた。
「MT 1日目」
その下には、少し大きな文字でこう書いてあった。
「ほんまにごめん」
さらに、初心者マークが1枚。
思わず笑ってしまった。
馬鹿にしたからではない。
申し訳なさが、車の後ろからあふれていたからだ。
私にも覚えがある。
免許を取ったばかりのころ、坂道発進で3回続けてエンストした。
後ろの車に鳴らされ、焦れば焦るほど足が震えた。
あのときは、車ごと消えてしまいたいと思った。
信号が再び青になる。
軽自動車は慎重に発進した。
けれど、交差点を抜けた先の緩やかな上り坂で、また車体が止まった。
後続の男性は、再び窓を開けた。
「いい加減にしろ!」
私は車間距離を十分に取り、ハザードランプをつけた。
後ろから来る車に、前方の車が動き出せていないことを知らせるためだ。
次の車線から、別の運転手が様子を見て速度を落とした。
焦らせるようなクラクションは、それ以上鳴らなかった。
軽自動車の運転手がミラー越しにこちらを見た。
私は落ち着いて、ゆっくりうなずいた。
「大丈夫。慌てなくていい」
窓越しだから声は届かない。
それでも、伝わった気がした。
数秒後、エンジンがかかった。
車体が少し揺れる。
今度は止まらない。
白い軽自動車は、ゆっくり坂道を上っていった。
信号の先で安全な場所に寄せた運転手は、車内からこちらへ深く頭を下げた。
私も軽く手を上げた。
すると、さっきまで怒鳴っていた男性が隣の車線から「悪かったな」と短く声をかけ、そのまま走り去った。
たった数分の出来事だった。
でも、運転を始めたばかりの人にとって、その数分はとてつもなく長い。
最初から完璧に運転できる人はいない。
エンストしない人も、道を間違えない人も、車庫入れで切り返したことがない人も、たぶんいない。
「MT 1日目。ほんまにごめん」
あの紙を見たら、責めるより先に言いたくなる。
気にすんな。
みんな最初は初心者だ。
安全に、少しずつ慣れていけばいい。
頑張れよ。