毎晩23時になると、夫は車のキーを手に取り、静かに家を出ていく。戻ってくるのは、いつも決まって一時間後だった。
「ちょっとコンビニ行ってくる」
最初はそう言われて気にしていなかった。けれど、コンビニに行くだけで一時間もかかるはずがない。財布を確認すると、夫が出かけるたびに、千円札が一枚だけ減っていることにも気づいた。
半年ほど、同じ生活が続いていた。
試しに車のメーター表示を確認してみると、出かけるたびに、往復でぴったり十六キロほど走行距離が増えていることが分かった。毎回、ほぼ同じ距離。つまり、決まった場所へ通っているようだった。
「最近、体調でも悪いの」
そう聞いても、「大丈夫、心配しなくていい」とだけ返され、話はそこで終わってしまう。夫が何かを隠していることは、もう疑いようがなかった。
気になった私は、ある晩、夫が出かける少し前に、こっそり後部座席に乗り込んで待っていることにした。乗り込んできた夫は一瞬驚いた顔をしたが、何も聞かずに車を出した。
車は住宅街を抜け、十数分ほど走った先にある、高齢者向けのグループホームの前で停まった。
受付の職員は、夫の顔を見るなり「今日もお疲れさまです、いつもありがとうございます」と、慣れた様子で声をかけてきた。
事情が飲み込めないまま職員のあとについていくと、談話室の一角に、車椅子に座った一人の高齢の男性がいた。夫は驚く私に、ようやく事情を話してくれた。
その男性は、夫が独立する前に十年近く世話になった、会社の元上司だった。
身寄りが少なく、施設に入所してから面会に来る人がほとんどいないと知り、夫は数年前から、こっそり夜だけ様子を見に来るようになっていたのだという。千円は、毎回持っていく缶コーヒーやお菓子の代金だった。
「大げさに言うようなことでもないと思って」
夫はそう言って、少し照れくさそうに笑った。かつての恩に、静かに、けれど欠かさず応え続けていたのだった。
その夜以来、私も時々、夫の隣に座って一緒に話を聞くようになった。財布から減る千円の意味を、今はもう疑わずにいる。