夏休みの静かな午後だった。
子どもたちの声が遠くに響き、いつもより時間がゆっくり流れているように感じていた頃、私は近所に住むママ友・美咲から声をかけられた。
「ちょっとだけでいいから、車貸してもらえない?」
彼女の話では、急な用事でどうしても遠方まで行く必要があり、レンタカーも予約が取れなかったという。普段から付き合いもあり、何度か子ども同士も遊ばせていたことから、私は少し迷いながらも了承してしまった。
ただ、そのとき一つだけ条件を付けた。
「もし故障や事故があった場合は、修理費は必ず負担すること」
そう言うと、美咲は少し笑いながら頷き、スマホで簡単な念書を作り、その場でサインをした。
“故障させた場合、修理費全額を弁償する”
その一文が、後に大きな意味を持つことになるとは思ってもいなかった。
車を渡してから、最初の数時間は何も問題はなかった。だが夕方になって返却された車を見た瞬間、私は言葉を失った。
ボンネットには細かい傷、フロント部分は明らかに衝撃を受けた跡があり、エンジンをかけると異音が響いた。明らかに「普通の使用」ではない状態だった。
「ちょっと段差が多くて……それに少しぶつけちゃったかも」
美咲は軽く言ったが、その表情には悪びれた様子はほとんどなかった。
すぐにディーラーに持ち込むと、診断結果は想像以上に深刻だった。
エンジン系統、足回り、電子制御系まで広範囲に損傷。修理費は――250万円。
その金額を聞いた瞬間、私は息を呑んだ。
だが同時に、あの“念書”の存在が頭に浮かんだ。
翌日、私は冷静に美咲へ連絡した。
「修理費は全額負担してもらいます。
念書に書いてありますよね」
電話越しに、彼女の声は一気に強張った。
「そんな大げさな……ちょっと傷ついただけじゃない!」
しかし私は淡々とディーラーの見積書と、損傷箇所の写真を送りつけた。
沈黙が続いたあと、彼女の態度は一変した。
「こんな金額払えるわけないでしょ!ただの車じゃない!」
だが、契約は契約だった。
最終的に私は、弁護士に相談し正式な手続きを進めることにした。
念書は簡易的なものではあったが、「損害が発生した場合の全額負担」という文言が明確に残っていたため、法的にも十分効力を持つ可能性が高かった。
数週間後、美咲の態度は完全に変わった。
最初の強気は消え、連絡は途絶えがちになり、最終的には分割での支払いを申し出てきた。
私はその申し出を受け入れたが、同時に強く学んだ。
「信頼」と「貸し借り」は、紙一枚であっても明確にしておかなければならないということを。
夏休みの小さな親切は、思わぬ高額な現実へと変わったのだった。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=dT8UVb_WgBA,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]