弟が、子供の頃からずっと憧れていたスポーツカーを購入したのは、去年の春のことだ。
真っ赤に輝く車体に低く構えた車高、耳に残る独特なエンジン音。車に全然詳しくない私から見ても、弟がこの車をどれほど大切に、どれほど愛しているか一目で分かった。
休日になれば必ず自分で細部まで洗車し、雨が降る日は絶対に乗らず、駐車場に停める時は毎回専用カバーをかける。
傷一つつけまいと、細心の注意を払って扱ってきた、弟にとって唯一無二の宝物だ。
「ねえ、この車めちゃくちゃかっこいい!今度夫と旅行に行くから、この車貸してよ!」
ところが、手を動かしていた弟がふっと顔を上げ、にっこりと無邪気な笑顔を浮かべて言った。
「本当!?よかった!じゃあ土曜の朝に借りに来るね!夫にも早く伝えておくから!」
「貸すとは言ったけど、無料で無条件に貸すとは一言も言ってないよ」
彼女は当然の権利のように手を差し出し、せかすように言った。
封筒から取り出されたのは、細かく文字が並んだ車両使用同意書だった。
弟は穏やかな声で、一切揺れずに返答した。
「お前……これを、無料で、何のリスクもなく借りれると思ってたのか?」
「俺、AT限定免許だ……」
完全に言い返せなくなったはずなのに、奥さんはまだ食い下がった。見栄を張りたい一心で、無茶な要求を続ける。
弟は最後まで丁寧な態度を崩さず、冷静に結論を告げた。
それ以来、その奥さんは私たちの姿を見るたびに、気まずそうに目をそらし、逃げるようになった。
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