43年勤めた会社を定年退職した日、花束を抱えて帰宅した私に、夫の正隆はソファに寝そべったまま顔も上げずに言った。
「退職金くらあるんだろ。3000万くらい入ったんだろう」
「ただいま」の次に返ってきたのがそれだった。
義母にまで退職金の額を話していたと知り、私は静かに冷えていった。
その夜、義母から電話が来た。私は録音アプリを起動してから応答した。
「嫁の金は今のものよ。通帳と印鑑は正隆に預けなさい」
義母は同じ言葉を二度繰り返した。私は反論せず、ただ相手に話させ続けた。
私は古い通帳を思い出した。ほとんど使っていない口座で、残高はわずか3187円。届出印もすでに変えてある。私はそれをいつもの引き出しに、少し見つきやすいように置いた。盗めとは一言も言っていない。ただそこに置いただけだった。
数日間、正隆は義母に急かされながらも通帳に手を出さなかった。
だがある日曜、「麻雀に行く」と香水をつけて出かけた夫の様子に、私は違和感を覚えた。麻雀仲間に確認すると、正隆はもう半年も顔を出していないという。帰宅した夫のスマートフォンには、女性からのメッセージが光っていた。「お店の件、楽しみにしてるね」
そして退職から数日後の朝、目が覚めると夫の布団はきちんと畳まれ、家の中は静まり返っていた。
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