夫が土下座した瞬間、畳の目までがくっきり見えました。手のひらを床に押しつけ、額を擦りつけるような姿勢。あれほど「家庭が一番」と言っていた人が、こんな形で私の前に崩れるとは思いませんでした。
「……20歳年下の彼女が妊娠した。だから離婚してくれ」
声は震えていました。けれど震えの理由は、罪悪感ではなく、面倒を早く終わらせたい焦りに見えました。
私は一拍置いて、机の上に置かれた湯のみを見ました。湯気が細く上がっている。日常のままの温度が、逆に異様でした。
私は静かに立ち上がり、引き出しから一式を取り出しました。離婚届、印鑑、そして必要な書類。驚くほどスムーズに手が動いたのは、心が冷え切っていたからだと思います。私は淡々と言いました。
「はい、離婚届。あなたが望むなら、今ここで書ける」
夫は顔を上げ、目を丸くしました。私が泣き叫ぶとでも思っていたのでしょう。私は続けました。
「ただし条件がある。長男以外は、私が連れていく」
夫の表情が一瞬で変わりました。安堵の次に、苛立ちが浮かぶ。土下座していた人間が、あっさりと上から物を言う顔に戻る。
私はその変化を見て、心のどこかで「ああ、これが本性だ」と確信しました。
「は? 長男も連れていけよ」
夫は立ち上がり、当然のように言いました。
「俺は向こうで新しい家庭を作るんだ。長男まで面倒見られない。お前が育てろよ」
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