母の実家は、山あいの集落にある古い家だ。裏手には納屋があり、冬に備えて灯油を数缶まとめて保管している。ところがここ数年、寒くなるたびに灯油が妙に減る。最初は「蒸発?」「こぼした?」と疑ったが、減り方が不自然だった。缶の口が毎回きちんと閉まっていない。足跡もある。――盗まれている。
母は「まあまあ、近所の誰かが困ってるのかも」と言ったが、私は納得できなかった。
灯油は命綱だ。盗られる側が凍える。しかも、同じ村でそれをやる神経が理解できない。
とはいえ、田舎の空気は濃い。下手に騒げば角が立つ。警察に通報するにしても証拠が要る。だから私は、まず“確かめる”ことにした。
次の週末、私は空の灯油缶を一つ選び、そこに水を入れた。見た目は灯油缶そのもの。持ち上げれば重さもそれっぽい。納屋の一番手前、いかにも「持っていってください」と言わんばかりの位置に置き、他の本物は奥に移した。
正直、少し胸がざわついた。危険なことが起きたら困る。だから私は、母にきちんと釘を刺した。「この手前の缶は絶対に使わないで。目印を付けるから」と。缶の底にだけ小さくテープを貼った。
外からは見えないが、こちらは見分けられる。
そして数日後。
母から電話が来た。声が妙に弾んでいる。
「ねえ、聞いて。今日ね、近所の○○さんがうちに来て、怒ってたのよ」
嫌な予感がして、私はすぐ尋ねた。
「……何て?」
母は、一言一句を再現するみたいに言った。
「『あんたのとこの灯油、混ざり物入ってるだろ!ストーブが止まった!どうしてくれる!』って」
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