東京・銀座。冷たい雨が静かに降りしきる夜、街のネオンがビルのガラスに映り込み、まるで別世界のように輝いていた。

だが、ペントハウスの窓際に立つ老人、エドウィン・椿本（82）の心は、その光の一切を拒絶していた。
彼は日本有数のホテルチェーンの創業者。だが今、彼の手の中には、古びた一本の腕時計が握られていた。

皮バンドは擦り切れ、ガラスには細かな傷が無数に刻まれている。

裏にはこう刻まれている――

「エミリ　ずっといっしょ」

その刻印を指でなぞるたび、五十年前の記憶が胸を締めつける。失った愛、言葉にできなかった後悔。エドウィンは小さく息をつき、窓を開けた。

「これを手放せば…すべて終わるかもしれない」

そう呟き、手を伸ばしたとき、風が強く吹き、時計は彼の手をすり抜けて床へ落ちた。乾いた音が静寂を打ち破る。

驚いて拾い上げたその時計を見つめながら、彼は微笑んだ。

「まだ…俺を離さないのか」

そうして彼は決意した。今日だけは、時計を持って、最後の銀座を歩いてみよう、と。

その夜、銀座の交差点の一角で、小さな少女が雨に打たれながら花を売っていた。

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