廃業届に名前を書き入れるはずだったペンが、笠原一郎の手の中で止まった。
七十年生きてきた男が、初めて自分の店を閉める決意をした瞬間だった。
その時、古びた引き戸の向こうから、吹雪に紛れるように小さな声が聞こえた。
「お母さん、お腹空いた?」
その声の主は、四歳の少女だった。
そして、その少女の隣には、音のない世界で生きる母親が立っていた。
この出会いが、閉じようとしていた一軒のラーメン屋と、三人の人生を大きく変えることになるとは、その時の一郎はまだ知らなかった。
十二月初旬。
北関東の古い宿場町に、三代続く小さなラーメン屋「中華そば笠原屋」があった。
店内は決して広くない。
カウンターが八席、四人掛けのテーブルが二つ。
壁には色あせた品書きが貼られ、天井の蛍光灯は一本切れたまま何年も交換されていなかった。
それでも、この店には長い年月をかけて守られてきた温かさがあった。
店主の笠原一郎は、五十年近くこの場所で中華そばを作り続けてきた職人だった。
しかし、三年前に妻の和子を亡くしてから、店の時間は止まってしまった。
朝、厨房に立っても隣に妻はいない。
夜、暖簾を下ろしても「お疲れ様」という声は聞こえない。
以前なら和子が笑いながら言っていた。
「あなたの作る中華そばは、人の心の薬よ」
その言葉だけが、今も一郎の胸に残っていた。
しかし現実は厳しかった。
商店街は徐々に寂れ、客足は減る一方。
一日の来店客が数人だけの日も珍しくなくなった。
一人息子の健太は三十八歳。
東京の食品流通会社で働いている。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=Nqhbx6bMIJE,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]