ホテルの最上階、白いクロスが波のように広がる晩餐会場。シャンデリアの光がグラスに反射し、控えめな弦楽の音が空気を整えていた。――その夜は、本来なら祝いの席になるはずだった。
俺の名は朝倉 恒一。三十五歳。肩書は「朝倉グループ代表取締役社長」。社員数は国内外合わせて一万二千人。けれど、そんな名乗りは普段しない。名刺に刻まれた文字はただの記号で、俺はそれよりも先に、育ての母――春子さんの息遣いを思い出してしまう。
春子さんは血のつながらない母だ。俺が幼いころ、家庭の事情で居場所を失った俺を引き取り、夜の清掃と昼のパートを掛け持ちしながら育ててくれた。風邪を引けば背中をさすり、弁当の隅に小さなミカンを入れてくれた。学費が足りないときは、自分の指輪を質に入れた。そんな人だ。
だから今夜、俺は春子さんを“母”として連れてきた。
「息子の仕事を一度見てみたい」
そう言った春子さんの願いを叶えたかった。取引先の幹部が並ぶ席に、あの人を一人で置き去りにしたくなかった。俺の原点を、隠したくなかった。
ところが――席に着いた瞬間から、違和感はあった。
取引先の部長、黒瀬が、春子さんを見る目が露骨に歪んだのだ。春子さんは緊張しながらも、丁寧に頭を下げた。質素なワンピース。慣れないハイヒール。努力してきたのが痛いほど分かる。
「……ご同伴の方は?」
黒瀬は作り笑いで尋ねた。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=InLL3_UYBQ4,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]