2007年3月4日、54歳の女性登山者aさんは、車のハンドルを握り締め、京都線の登山口・福定浸水公園へ向かっていた。午後12時40分、冬の冷たい風が車窓を通り抜ける中、aさんは今日の山行に胸を高鳴らせていた。彼女は田島山岳会のベテランで、これまで数多くの山を経験してきた。しかし、この日の遅すぎる入山が、悲劇の幕開けとなることを、誰も予想していなかった。
午後3時、駐車場に到着。空には青空が広がるが、入山は遅く、下山予定はわずか18時と、無謀なスケジュールだった。aさんは登山届を提出し、福定浸水公園から山頂へ向かう最も険しいコースを選択。体力に自信があったaさんは迷いなく歩き始めるが、装備は長靴のみという危険な状態だった。軽い散策なら問題ない装備だが、急勾配や残雪の多い冬山では致命的になり得る。
登山開始からすぐ、aさんは早いペースで進む。橋を渡り、布滝への分岐を越え、つづら折りの急登「二十八曲がり」に差し掛かる。息は上がり、額には汗が滲む。何度も登った山であるにも関わらず、体調はいつもより優れなかった。しかし、aさんは足を止めず、必死で前へ進む。
雪を踏みしめ、木々を抜け、地蔵道に到着したのは16時過ぎ。日没まであと1時間半しか残されていない。
その後、崩壊地にかけられたはしごを慎重に登り、冷たい沢の水で喉を潤すaさん。避難小屋に着いた時刻は16時半、ここから山頂まであと1kmほど。日没までに下山するには無理のある計画だが、aさんはまだ余裕があると信じ、歩を止めなかった。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=bzcs_7G1-KA,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]