俺は2年間勤めた小さな会社を辞めることにした。
業績は不安定で、給料も安い。上司からは「転職しても、お前なんかすぐ戻ってくる」と笑われたが、もう未練はなかった。
ただ一つだけ心残りがあった。
社員の約3分の1は女性なのに、内気な俺は仕事以外でほとんど話したことがない。
「どうせ退職するなら、一度だけ食事に誘ってみよう」
断られたら二度と誘わない。
そのルールを決め、最初に声をかけたのは19歳の新人、真美さんだった。
緊張しながら誘うと、彼女は顔を赤くして答えた。
「明日の土曜、お昼なら空いています」
予想外の返事だった。
次に誘ったのは38歳の美咲さん。彼女は既婚者だったため、会社近くの喫茶店で話すだけにした。それでも「退職前にゆっくり話せてよかった」と笑ってくれた。
3人目は大学時代の先輩でもある29歳の瑛子さん。
彼女は鼻で笑い、「5万円出すなら行ってもいいよ」と言った。
冗談でも不愉快だった俺は、その場で誘いを取り消した。
それから瑛子さんは、顔を合わせるたびに「5万円、用意できた?」とからかってきたが、俺は一切相手にしなかった。
4人目は隣の部署の28歳、理恵さん。
「俺と食事に行きませんか」
そう伝えると、彼女は驚いた顔で「冗談でしょ?」と答えた。
やはり駄目かと思った翌日、理恵さんに資料室へ呼ばれた。
「昨日は驚いただけ。あなた、誰にも興味がないと思ってたから」
そして小さな声で、「退職後も会うつもりなら、行ってもいい」と続けた。
その後も、一人ずつ丁寧に声をかけた。
35歳で離婚経験のある久仁子さんとは居酒屋へ行き、仕事や人生について語り合った。ほかの女性たちも、ランチやコーヒーならと応じてくれた。
最終的に誘った9人のうち、7人が了承した。
それを知った瑛子さんは退職日の送別会で、「女性なら誰でもいいんでしょ」と俺を嘲笑した。
すると理恵さんが立ち上がった。
「加藤さんは一度しか誘っていません。
断った人にもしつこくしていない。あなたのほうが毎日5万円って絡んでいたじゃないですか」
周囲の女性たちも静かにうなずき、瑛子さんは何も言えなくなった。
帰り際、理恵さんが俺に連絡先を書いた紙を差し出した。
「これからは同僚じゃないから、次はちゃんとデートに誘ってください」
俺たちは退職後も会い続け、2年後に結婚した。
新しい会社では収入も上がり、上司が予言したように戻ることもなかった。
片っ端から誘った結果、分かったことがある。
俺が嫌われていたのではない。
勇気を出さず、自分から何も始めていなかっただけだった。