「次に聞こえたら、お前の妻の声を全住民に聞かせてやる!」
仕事を終えてエレベーターを降りた瞬間、私は足を止めた。
隣の男が、私の家のドアの前に立っていた。
手にはスマートフォンを握っている。
その顔には、注意をしている人間とは思えないほど、いやらしい笑みが浮かんでいた。
「今の言葉、どういう意味ですか?」
私が尋ねると、男は鼻で笑った。
「全員知ってるんだよ」
「夜中にお前の奥さんがどんな声を出しているか、知らないのはお前らだけだ」
私は拳を握りしめた。
しかし、その場で怒鳴り返すことだけはしなかった。
これまで、マンションの掲示板には3枚の匿名文書が貼られていた。
1枚目は、
「夜間は静かにしてください」
という短い注意書きだった。
2枚目には、私たちの部屋番号が書かれた。
そして3枚目には、妻を名指しするような、見るに堪えない言葉まで並んでいた。
「毎晩のように奥さんの声が聞こえ、安眠を妨げられています」
「今後も続くようなら、証拠として録音し、皆さんに聞かせます」
その紙は、住民全員が使う郵便受けの横に貼られていた。
妻はそれを見た瞬間、顔から血の気を失った。
「私、そんな声なんて出してない」
妻は何度もそう言った。
私も知っていた。
妻は家庭の事情で眠れない夜が続いていたが、大声を出すようなことはなかった。
夜中に目を覚ましても、水を飲み、静かにベッドへ戻っていただけだ。
それなのに、住民たちの視線は変わった。
廊下で会っても挨拶を返さない人が出てきた。
エレベーターの中では、私たちが乗ると会話が止まった。
記事はまだ終了していません。次のページをクリックしてください