「お母様も一緒に、社長室へ来てください」
その電話を受けた時、俺はついに処分が決まったと思った。
2週間前、清掃員として同じ会社で働く母・しおりが、階段の踊り場でバケツを倒した。
水を浴びたのは、社長令嬢の藤原美咲さんだった。
母はその場で膝をついた。
俺も駆けつけ、クリーニング代を払うと申し出た。
だが美咲さんは何も言わなかった。
代わりに、俺の左頬から首にかけて残る火傷跡をじっと見ていた。
5歳の時の事故でできた傷だ。
人の視線には慣れたつもりだったが、あの時の彼女の目だけは違った。
怒っているというより、何かを確かめているようだった。
そして社長室。
母は「私1人で行く」と言ったが、俺は一緒に扉を開けた。
「どんな処分でも受けます」
そう頭を下げる俺たちを、社長が静かに止めた。
「まず、娘から話があります」
美咲さんは小さな包みを開いた。
中には、古いハンカチと絆創膏が入っていた。
「8年前の5月、第3病院の近くの公園にいませんでしたか?」
その瞬間、記憶が戻ってきた。
母が入院していた頃。
雨の日の公園で、膝を擦りむいて泣いていた少女がいた。
俺は傘を差し出し、傷の手当てをした。
泥で汚れた人形を、自分のハンカチで包んだ。
その少女が、美咲さんだった。
彼女も俺を覚えていた。
顔ではなく、この火傷跡で。
「あの時、ずっと探していたんです」
美咲さんは、母親が亡くなる前まで「あの少年にお礼を言いたい」と話していたことを教えてくれた。
俺にも忘れられないことがあった。
当時、火傷跡を見られることが嫌で仕方なかった俺に、あの少女だけが言ったのだ。
「かっこいい。優しい人の印みたい」
何気ない一言だった。
だが、その言葉に何度も救われた。
母は隣で黙って泣いていた。
俺たちはクビを言い渡されるために呼ばれたのではなかった。
社長は最後に言った。
「これからも、この会社で一緒に働いてください」
ずっと消したいと思っていた火傷跡。
その日初めて俺は、この傷があったからこそ、8年前の優しさがもう一度誰かにつながったのだと思えた。