父が亡くなり、公証役場で遺言公正証書の内容を確認していたときのことだった。長男の私は、財産分与の欄に続いて記された、弟・拓真の住所欄で手を止めた。書かれていたのは、実家から電車で3時間かかる、地方都市の見知らぬアパート名だった。拓真は結婚後、実家から車で30分の場所にマンションを買って住んでいる。それは家族全員が知っている、ごく普通の事実だった。
「この住所、拓真は一度も住んだことがないはずです」。私がそう伝えると、担当者は「作成時にご本人様が申告された住所を、そのまま記載しております」と説明した。父が遺言を作成したのは3年前、体調を崩す直前のことだった。
家に帰り、父の書斎を片づけていると、古い引き出しの奥から、色あせたメモが1枚出てきた。そこには、公正証書に書かれていたのと同じ住所と、「拓真」という文字だけが、父の字で書かれていた。日付は書かれていなかったが、紙の劣化具合から、かなり古いものだと分かった。父は生前、几帳面にすべての書類を整理する人だったので、こんなふうに意味の分からないメモを取っておくことは珍しかった。
不審に思い、私は市役所で拓真の戸籍の附票を取り寄せてみることにした。窓口で発行された書類を見て、私は言葉を失った。20年前、拓真は確かにその住所に、8か月間だけ住民票を移していた記録があった。当時21歳、大学2年生から3年生にかけての時期。家族の記憶では、その頃の拓真はずっと実家から大学に通っていたはずだった。休学していたという話も、誰も聞いたことがなかった。
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