「無料だから、ここに名前を書いてくれる?」
夏休みの昼下がり、小学生の息子が1人で留守番をしていた時のことだった。
私たち夫婦は仕事で不在。祖母は家にいたものの、体調が悪く別室で眠っていた。
そこへ、清掃用品会社の営業担当者が訪ねてきたという。
「無料で試せる商品です」
そう説明され、息子はモップなどのサンプルを受け取った。
しかし、それだけではなかった。
帰宅した私は、玄関に置かれた商品と「無料サンプルカード」を見て固まった。
お客様名の欄には、息子の名前。
住所だけでなく、電話番号の一部まで息子の字で記入されている。
さらに、保護者ではない小学生に署名させた形跡も残っていた。
私はすぐ息子に尋ねた。
「お父さんかお母さんに確認してって言わなかったの?」
息子は不安そうに答えた。
「言ったよ。でも“無料だから大丈夫”“名前だけでいいよ”って言われた」
無料か有料かの問題ではない。
大人が不在と分かっていながら、子どもから氏名や連絡先を書かせ、商品を置いていったことが怖かった。
私は怒鳴り込む代わりに、まずカードと商品の写真を撮影。
訪問時間、息子が言われた言葉、担当者名をメモし、カードに記載された営業所へ電話した。
最初に応対した人は、「無料サンプルなので契約ではありません」と説明した。
そこで私は静かに聞き返した。
「契約でなければ、保護者の同意なく小学生に個人情報を書かせてもいいのですか?」
電話の向こうが急に静かになった。
私は続けた。
「子どもは、両親が不在だと伝えています。それでも記入を求めた理由を、責任者から説明してください」
数分後、営業所の責任者に代わった。
責任者は詳しい状況を確認すると、声の調子を変えた。
「その対応は適切ではありません。すぐに商品を回収し、カードの情報も使用しないよう処理します」
その日の夕方、責任者と担当者がそろって訪ねてきた。
担当者は、「無料なら問題にならないと思った」と頭を下げた。
私は商品を返し、カードに書かれた個人情報を目の前で処理してもらった。
さらに、今回の経緯と再発防止策について、後日書面で回答してもらうことにした。
数日後に届いた文書には、保護者不在時の未成年者から申し込みや個人情報を受け取らないこと、訪問担当者への再教育を行うことが記されていた。
私は担当者の名前を公開しなかった。
けれど、証拠はすべて残した。
会社全体を一方的に責めたいわけではない。
ただ、「無料」という言葉を使えば、子どもから名前や連絡先を聞き出しても許されるわけではない。
息子にも、今後は相手が有名な会社の人でも、親がいない時はドアを開けず、名前や住所を書かないよう伝えた。
無料サンプルより大切なのは、子どもが安心して留守番できる環境だ。
大人の都合や営業成績のために、その安全を軽く扱ってほしくない。