「あの人に何ができるんだ」
親戚の集まりで、叔父はいつもそう言われていた。
定年前に職を転々とし、結婚もせず、一人でアパート暮らしをしていた。親族の中では、どこか厄介者のように扱われていた。法事に顔を出しても、隅の方でひっそりとお茶を飲んでいるだけの人だった。誰かがお金の話をすると、叔父はいつも視線をそらしていた。
その叔父が、先月、静かに息を引き取った。
遺言があると知らされたのは、葬儀のあとだった。行政書士から呼び出され、私は困惑しながら事務所へ向かった。
「叔父様の預金の一部を、あなたに遺すとのことです」
意味が分からなかった。疎遠だったはずの叔父が、なぜ私に。子どもの頃、正月に顔を合わせる程度の付き合いしかなかったはずだった。
行政書士は、古い通帳のコピーを机に広げた。
そこには、十年以上前からの、毎月同じ日の振込記録が並んでいた。金額はそれほど大きくないけれど、一度も欠かすことなく続いていた。振込先の名義を見て、私は息を止めた。それは、私が大学生だった頃に使っていた、今はもう解約した口座番号だった。
忘れかけていた、あの頃の記憶がよみがえってきた。
父を早くに亡くし、母一人の稼ぎで大学に通っていた時期があった。授業料の振込期限が近づくたびに、母が電卓を片手に頭を抱えていたのを覚えている。ある時期から、毎月決まった額が口座に振り込まれるようになり、母には「奨学金の追加が決まったから」とだけ聞かされていた。
「これは、叔父からだったんですか」
行政書士は頷いた。
「お母様も、途中から気づいていらしたようですが、叔父様たっての希望で、黙っていてほしいと頼まれていたそうです」
思い出してみれば、叔父が親戚の間で「何もできない人」と言われるたびに、母だけは少し違う表情をしていた気がする。
叔父がなぜ、自分の生活を切り詰めてまで、私を支え続けてくれたのか。その理由は、もう本人に聞くことはできない。それでも、通帳に残された十年分の記録が、言葉にされなかった思いを、静かに物語っていた。
葬儀の日、親族の誰も、叔父の本当の姿を知らなかった。
線香をあげながら「まさかあの人が」と驚く声も聞こえた。私はその輪の中で、何も言わずにいた。
私は今、遺してもらったお金の一部を使って、叔父の名前を刻んだ小さな石碑を、墓のそばに置こうと考えている。「何もできない人」ではなく、誰よりも黙って人を支え続けた人として、覚えておきたいから。