1966年6月30日。静岡県清水市にて、一軒の味噌製造会社の専務宅が炎に包まれ、その焼け跡からは専務夫妻とその子供たち4人の変わり果てた姿が発見された。彼らは皆、無残にも刃物で繰り返し刺された形跡を残して命を落としていた。地域を震撼させたこの事件は後に「袴田事件」と呼ばれることになる。
犯行直後、警察は家庭の内外での人間関係を洗い出し、早々にある人物に目をつけた。
その人物が味噌工場の元従業員であり、元プロボクサーの袴田岩尾氏(原文に誤りがありましたが、正しい名前は「袴田巌」氏)だった。警察は、元ボクサーであれば複数の被害者を一度に制圧する力量があると根拠のない推測を元に、短期間で彼を逮捕。その過程では強引な取り調べが行われ、23日間の勾留期間中、彼は眠ることも許されず、最終的には「自白」に追い込まれることとなった。
しかし、ここから袴田事件は思いもよらぬ方向へ展開することになる。警察が「証拠」として提示したものは、矛盾や不自然な点が次々と浮き彫りになり、状況証拠が散りばめられただけの薄弱な案件であった。その中でも重要視されたのが、1年2カ月後、味噌樽の中から突然発見された犯行着衣である。
しかし、科学的な検証において付着したとされる血痕が保存状態から不自然と指摘され、後にこれが有罪判決の根拠を揺るがす大きな要因となる。
それでもなお、第一審裁判では、賠償や和解を恐れる国家の圧力により、袴田氏に死刑判決が下された。特筆すべきは、この事件に関与した熊本典道裁判官の苦悩だ。熊本元裁判官自身が「被告には無罪の可能性が高い」と確信しつつも、合議制による他の裁判官との意見不一致から、やむを得ず有罪判決を書かざるを得なかった現実だ。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=4RSM1ahwbhY&pp=ugUEEgJqYQ%3D%3D,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]