給与明細を開いた瞬間、手が止まった。
「総支給額 523,900円」
その下には、「業績給169,061円」と印字されている。
間違いではないかと思い、会社の計算表と勤務記録を3回見直した。残業時間も手当も合っていた。
23歳で運送業界に入ってから7年。こんな数字を見たのは初めてだった。
最初の会社では、朝5時に出勤して帰宅は夜。
荷物を破損させれば自腹だと言われ、手取りは18万円ほどだった。
次の会社では、先輩から怒鳴られる毎日。別の会社では給与の支払いが遅れ、さらに別の職場では無理な運行予定を断ったことで居づらくなった。
転職回数は5回か6回。
履歴書の職歴欄が増えるたび、家族からも言われた。
「また辞めるの?」
「どこへ行っても続かないんじゃない?」
友人には「30歳になっても落ち着けないのか」と笑われた。
悔しかったが、言い返せなかった。
それでも、事故につながる無理な運転や、約束と違う労働条件まで我慢することが正しいとは思えなかった。
今の会社の面接でも、所長は履歴書を見て尋ねた。
「転職が多いけど、うちもすぐ辞める?」
私は7年間無事故の運転記録と、毎日つけていた車両点検ノートを机に置いた。
「会社は何度か変わりました。でも運転の仕事からは逃げていません。安全を守って、長く働ける場所を探してきました」
所長はしばらく記録を読み、採用してくれた。
入社直後、古参の先輩から「どうせ3か月でいなくなる」と陰で言われた。それでも私は反論せず、荷物の積み方や配送順を見直し、急な欠勤が出た日には可能な範囲で別便も担当した。
ただし、無理な運行はしない。休憩と点検は必ず取る。
その姿勢を会社も認めてくれた。
1年後には新人の指導を任され、繁忙期には配送件数と安全評価が業績給へ反映された。
そして30歳になった今年、受け取ったのが総支給523,900円の給与明細だった。
毎月この金額になるわけではない。それでも、働いた分が記録され、手当として正当に支払われたことが何よりうれしかった。
その夜、私は母を食事に誘い、明細を見せた。
母は数字より先に、私の顔を見て言った。
「やっと安心して笑える会社に出会えたんだね」
私は初めて、「もう転職しなくていいかもしれない」と思えた。
5〜6回の転職は、失敗の数ではなかった。
自分を壊す場所から離れ、胸を張って働ける会社へたどり着くまでの道のりだった。
ようやく、ここで腰を据えて生きていけそうだ。