「また置いてある……」
朝、車で出かけようとした私は、自宅の駐車スペースを見て足を止めた。
敷地の隅に、見覚えのあるシルバーカーが置かれていた。最初は誰かが一時的に置いただけだと思ったが、これで何度目だろう。
家の前にはバス停がある。持ち主の高齢女性は、わが家の敷地へシルバーカーを置き、低い塀に腰掛けてバスを待つ。出かけている間も置いたままにし、帰宅すると当然のように持ち帰っていた。
「高齢者だから」
「少しくらいなら」
そう思い、私は何度も見過ごしてきた。
しかし、女性の置く場所は次第に敷地の奥へ入り、車を出す際に死角になるようになった。
ある朝、バックで車を動かそうとしたときだった。
「危ないわね!」
突然、後ろから怒鳴られ、慌ててブレーキを踏んだ。振り返ると、女性が塀のそばに立っている。
「見えていなかったの?ぶつかるところだったわよ」
幸い接触はなかった。しかし、そこは公道ではなく、わが家の駐車スペースだった。
もし本当に事故になっていたらと思うと、背筋が冷たくなった。
私はその日から、シルバーカーが置かれた日時と位置を写真に残した。すると1週間のうち、実に5日も無断で置かれていたことが分かった。
数日後、女性が再びシルバーカーを押してきた。
「すみません。ここは自宅の敷地なので、置かないでください」
私が伝えると、女性は不満そうに眉を寄せた。
「端だからいいでしょう。少し置くだけよ」
「車の出入りで見えにくくなります。事故が起きてからでは遅いんです」
「大げさね。今まで何もなかったじゃない」
私は怒鳴らず、スマートフォンに保存した写真を見せた。
「1週間で5回確認しています。今朝も事故になりかけました。今後も続くなら、警察や自治体へ安全面の相談をします」
女性は「そんなことで警察なんて」と笑った。
そこで私はその場から相談窓口へ電話をかけ、私有地への無断立ち入りと車両出入りの危険について説明した。
電話口から、記録を残し、本人へ明確に立ち入りを断るよう助言された。必要に応じて地域の担当窓口にも相談できるという。
それを聞いた女性の表情が変わった。
「そこまでしなくてもいいでしょう」
「何度も続いているので、今日で終わりにしたいんです」
しばらく沈黙した後、女性はシルバーカーを道路側へ戻した。
翌日、バス停の少し先にある安全な待機場所を使う姿が見えた。それ以来、わが家の敷地にシルバーカーが置かれることは一度もなくなった。
相手を思いやることと、危険な行為を黙って許すことは違う。
あのとき境界をはっきり伝えたのは、相手を困らせるためではない。
私たち双方が、事故の被害者にも加害者にもならないためだった。