「これ、ゆめさんが間違いってこと?」
夕食の前、6年生の娘が問題集を広げた。国語の、話し合いに関する問題だった。
さえこさんのクラスでは「席がえの方法」を話し合っている。
さえこさんは、席に番号をつけてくじ引きにする案。かなさんは、じゃんけんで勝った人から好きな席を選ぶ案。
ともかさんは「席はどこでもいっしょだから、どこでもよい」。
ゆめさんは「目の悪い人は前の席に座るのがよいと思います」。
問われているのは、本題と合っていない意見を言った人の名前だ。
「くじとじゃんけんは、席の決め方だよね」
「うん」
「ゆめさんは、席の決め方じゃなくて、座る場所の話をしてる」
娘が鉛筆で「ゆめ」の横に小さく印をつけた。けれど、そこで手が止まった。
「目の悪い子が前に座るのは大事なのに、間違った意見なの?」
私はすぐに答えられなかった。本題に合っているかと、その意見が大切かどうかは、別の話だ。
それに、方法を提案していない人はもう1人いる。
「ともかさんの『どこでもよい』は、どう思う?」
娘は文章を読み直した。
「たしかに、席がえをどうするかは言ってない」
「ゆめさんは?」
「くじ引きにするとしても、目の悪い子の席は先に決めた方がいいかもしれない」
娘は、くじの番号を書く前に、前の席をいくつか空けておく場面を想像したらしい。
「でも、そういうこと、問題文には書いてないよ」
「うん。だから、そう読む理由を自分の言葉で説明してみたら?」
翌日、娘は問題集を持って先生のところへ行った。
帰宅すると、玄関で靴も脱がずにページを開いた。
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