息子に障害があると分かったのは、3歳児健診の後だった。
言葉がなかなか増えず、同じ動きを繰り返す。大きな音がすると耳を塞ぎ、初めての場所では泣いて動けなくなった。
専門の医師から説明を受けた帰り道、私はずっと自分を責めていた。
育て方が悪かったのか。
この子は学校へ行けるのか。
大人になったら、1人で暮らせるのか。
まだ何も起きていないのに、何十年先までの不安を一度に背負い込んでいた。
親戚に伝えると、「かわいそうに」「普通の学校は難しいかもね」と言われた。悪気がないことは分かっていたが、そのたびに息子が“できない子”と決めつけられているようで苦しかった。
最後に、私は父へ報告した。
昔気質で口数の少ない父だ。理解してもらえないかもしれないと、診断内容を慎重に説明した。
「この子、障害があるって言われたの」
父は息子と積み木で遊びながら、顔も上げずに言った。
「障害? なんだそれ。関係ない」
私は一瞬、突き放されたのかと思った。
すると父は、崩れた積み木を拾いながら続けた。
「この子はこの子だろ。昨日まで孫だったのに、今日から別の何かになるのか?」
言葉が出なかった。
父は息子に向かって、「もう1回作るぞ」と笑った。
息子も父のまねをして、積み木を積み始めた。
後日、親戚の集まりで誰かが「この子はかわいそうだから」と言ったときも、父は静かに遮った。
「勝手にかわいそうにするな。困ることがあるなら手を貸せばいい。それだけだ」
父は障害を無視していたのではない。
必要な支援は受ければいい。
苦手なことには工夫をすればいい。
ただし、それによって息子の価値まで変わるわけではない。
そう教えてくれたのだ。
それから私は、息子に何もかも無理をさせることも、反対に何もできないと決めつけることもやめた。
園や支援機関と相談し、絵カードを使い、予定を事前に伝えた。息子は自分のペースで言葉を増やし、好きな電車の名前なら夢中で話すようになった。
小学校の発表会の日、息子は舞台に立てなかった。
けれど、会場の後ろから自分の役のせりふを最後まで言えた。
父は誰より大きく拍手した。
「よくやった。場所なんか関係ない」
数年後、父は亡くなった。
今でも子育てに迷うと、あの日の声を思い出す。
「関係ない」
障害がないという意味ではない。
支援が必要ないという意味でもない。
どんな特性があっても、息子は息子のまま。
“特別な存在”として遠くへ置いていたのは、周囲ではなく、不安に支配されていた私だったのかもしれない。
父のたった一言は、今も私と息子を支え続けている。