「……あの子たち、来てくれるかしら」
六十歳になった木村明子は、ぽつりと夫の良樹にそう尋ねた。
その声には、寂しさと不安が入り混じっていた。
三週間前、明子は自宅の小さな段差につまずき、転倒してしまった。大したことはないと思っていたが、病院で告げられたのは足の骨折だった。
それ以来、生活は大きく変わった。
今まで家のことを一手に引き受けてきた明子に代わり、良樹が仕事の合間を縫って掃除や洗濯、食事の準備をするようになった。
しかし、長年会社勤めを続けてきた良樹にとって、それは想像以上に負担の大きい日々だった。
朝早く仕事へ向かい、帰宅すれば家事に追われる。
疲れが顔に出始めたある日、良樹は静かに言った。
「子どもたちに、少し手伝ってもらえないだろうか」
二人には子どもがいた。
一人は車で一時間ほどの場所に住む息子・巧。
もう一人は遠く離れた場所で暮らす娘・友美。
まず良樹は巧に電話をかけた。
しかし、巧は申し訳なさそうな声で答えた。
「ごめん、今仕事が忙しくて……」
悪気がないことは分かっていた。
けれど、頼れる人がいない現実に、良樹は少し肩を落とした。
「なら、友美に電話してみようか」
そう言った瞬間だった。
明子の表情が変わった。
「……やめて」
「友美には、頼まないで」
良樹は驚いた。
七年間、一度も連絡を取っていない娘。
本当は、明子だってずっと気にしていた。
会いたくないわけではなかった。
ただ、怖かったのだ。
なぜなら、七年前。
家を出る直前に聞いた友美の最後の言葉が、今でも胸に深く残っていたからだった。
「私……お母さんには、もううんざりなの」
その言葉を聞いた瞬間、明子は何も言えなかった。
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