卒業式の朝、娘の紗季は新品の制服の襟を指で整えながら、鏡の前で何度も笑顔の練習をしていた。中学校三年間の締めくくり。家族写真を撮るからと、私は台所で赤飯を炊き、ささやかな祝い膳の準備をした。
その横で、夫の誠一はいつも通り静かだった。紗季が玄関で靴を履くとき、「寒いからマフラーを」と言っただけで、紗季は眉をひそめて吐き捨てた。
「触らないで。キモい。パパなんかいらない」
誠一は苦笑いで受け流し、何も言い返さない。私は“卒業式の日に揉めたくない”という気持ちが先に立ち、「ほら、行くよ」とだけ言ってその場を流した。今思えば、あれが最後の分岐点だったのかもしれない。
式が終わり、花束と卒業証書を抱えた紗季がはしゃいで歩く姿を見て、私は胸がいっぱいになった。誠一は式の間、ずっと少し離れた位置で、カメラを構えたり、荷物を持ったりしていた。
紗季は父親の視線を避け続け、写真を撮ろうとすると露骨に顔を背けた。周囲の父親たちが娘に笑いかけるたび、誠一の表情だけが硬くなるのが分かった。それでも彼は、最後まで黙っていた。
帰宅したのは夕方前。玄関のドアを開けた瞬間、家の中の空気が妙に軽いことに気づいた。いつもならテレビの音や、誠一の足音がどこかでしているのに、今日は妙に静かだった。
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引用元:https://www.youtube.com/watch?v=pJ_NgqLz7rE,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]