退院してアパートに戻った日のことだった。
私は玄関の前で、小さなメモを何度も見直していた。
そこには、これから増える家族についての挨拶を書いていた。
「このたび家族が増えました。夜泣きなどでご迷惑をおかけすることがあるかもしれませんが、どうかよろしくお願いいたします」
産後すぐの体で、まだ慣れない育児が始まったばかりだった。
嬉しい気持ちの反面、不安も大きかった。
赤ちゃんはいつ泣くか分からない。
深夜や早朝に泣き声が響いてしまうこともある。
集合住宅で暮らしている以上、周囲の方に迷惑をかけてしまうかもしれない。
そう考えると、どうしても一言伝えておきたかった。
私はその手紙に、ほんの気持ち程度の品物を添えた。
そしてアパートの住人さんたちの玄関へ、そっと置いて回った。
普段から頻繁に話をする関係ではなかった。
会えば挨拶をする程度。
名前も顔もよく知らない方もいた。
それでも、これから同じ建物で暮らしていく人たちだからこそ、最初の気持ちは大切にしたかった。
正直、反応は分からなかった。
「そんなことまでしなくても」と思われるかもしれない。
逆に、夜泣きへの不安を余計に意識させてしまうかもしれない。
いろいろ考えながら、私は玄関のドアを閉めた。
数日後。
夫が玄関ですれ違った隣人の方から声をかけられた。
「先日は、わざわざありがとうございます」
さらに別の日には、3階に住んでいる方からも同じように言われたそうだ。
普段はあまり会話をすることもなかった人たちだった。
でも、その短い一言と笑顔だけで、私はとても安心した。
「ちゃんと伝わっていたんだ」
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