「もしもし、コストコへ車で行ったら渋滞で……幼稚園の娘を迎えに行ってほしいの」――義兄嫁の切羽詰まった声に、私は即座に答えた。「今から歯医者です。無理です」。すると数時間後、義兄嫁は姪を連れて我が家に押しかけ、「娘は泣いていたんです。それだけ言いに来ました」と言い捨てた。
電話があったのはつい先ほど。家電を取ると「ああよかった!いてくれた」と安堵する義兄嫁。
事情は単純で、コストコ帰りが橋の上の事故渋滞に巻き込まれ、月曜一時半の迎えに間に合わないという。だが買い物は仕事でも急用でもない。私は予約時間が迫る歯医者へ出る直前で、あっさり断った。
帰宅すると、義兄嫁と姪が近所の公園で我が家の車の戻りを待っていた。結局、迎えは一時間遅れ。姪は泣き、園長室で聖書の物語を読まされ、親は“園長保育”と呼ばれるお説教を受けたはずだ。預かり保育のない園で、それは避けたいはずなのに。
我が家は一昨年まで二人の子が五年通い、先生方とも面識がある。送迎要員として登録されているかは不明だが、隣市まで車で三、四十分。義兄嫁は「駐車場から出るのに手間取った」と弁解したが、電話の時点で既にアウトだったと思う。
責めるべきは渋滞ではなく、見通しの甘さだ。
その後、夫が義兄へ報告し、義両親にも根回しは済ませた。ほどなく義兄嫁から棒読みの謝罪が入ったが、「夫が仕事なのにこんなことで騒がせて…」と、どこか私を責める口調。私は淡々と返した。「次からは義両親に頼めば、仕事の邪魔もありませんね」。すると泣き声で「もう頼まない、コストコなんか大嫌い」と言って電話は切れた。
少なくとも当面我が家に“迎え要請”は来ないだろう。
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