通りかかった道で、ふと足が止まった。灰色のブロック塀に、茶色いテープで丁寧に貼られた一枚の紙。「いつもここにいたクリーム色の猫についてのお知らせ」
その一文を見た瞬間、胸の奥がじんわり熱くなった。この場所に、確かにいた。夕方になると、人の足元にすり寄ってきて、目を細めていたあの猫だ。
知らない誰かの“優しさ”
貼り紙にはこう書かれていた。
その猫は先週の金曜日の夜、保護されて病院に入院したこと。もし姿が見えなくて心配している人がいたら、安心してほしいということ。
誰が書いたのかはわからない。けれど、文面の一つ一つに「愛」がにじんでいた。「おそらく元飼い猫だった彼は、外で必死に生きてきました」「口内炎が痛くて食事も取れませんでした」「治療後は、優しい方のもとで“飼い猫”として迎えられる予定です」
誰かが気づき、誰かが保護し、誰かが看病している。この小さな命のために、見えないところで何人もの人が動いているのだ。
残された“ありがとう”
紙の横には、もう一枚の小さな付箋が貼られていた。手書きでこう書かれている。「よかった。ありがとう。」
たったそれだけ。でも、その二行が、この街の空気を変えていた。
貼り紙を書いた人も、それを読んで涙ぐんだ人も、みんな、名前も顔も知らない同士。だけど確かに、この数メートルの壁の前で“優しさ”が交わっている。
SNSでは見えない“人の温度”
ネットでは、炎上や批判の言葉が毎日飛び交う。けれど、現実の街角には、こんなふうに静かに誰かを思う人がいる。誰かのために時間を使い、文字を打ち、テープを貼り、伝える。その優しさは、アルゴリズムには拾われないけれど、きっと読む人の心には届いている。
この貼り紙には、バズも“いいね”もいらない。ただ、あの猫を見守っていた全ての人の気持ちを、ちゃんと繋いでいる。
猫は今、治療を受け、新しい家族のもとで暮らしているという。どこかのリビングで、きっと日向ぼっこをしているのだろう。
通りすがりの誰かが残した「よかった」という言葉。それは、知らない誰かの心にもきっと届いている。
──優しさって、こういうことなんだと思った。大げさなことじゃなくても、人を救える瞬間がある。それを教えてくれたのは、一匹のクリーム色の猫と、塀に貼られた一枚の紙だった。