年明け早々、SNSのタイムラインが一斉にざわめいた。発端は「米軍の特殊部隊がベネズエラで大統領マドゥロを拘束したらしい」という情報が拡散されたことだった。真偽の検証が追いつかぬまま、断片だけが燃料になり、議論は火花を散らし始めた。
そこへ、国内の一部政治家や論客が「いかなる理由でも軍事行動は許されない」「国際法違反だ」と、米国批判を前面に押し出す。
言葉だけ見れば正義の衣をまとっている。しかし、Xの空気は冷え切っていた。怒りではない。もっと乾いた、事実を積み上げるタイプの反撃である。
「その熱量を中国の香港・台湾、チベット、南モンゴルにも向けられますか」「北朝鮮のミサイルやロシアの侵略にも同じ口調で言えるのか」──投稿は次々と連鎖し、過去の発言との矛盾まで掘り返されていく。引用とスクリーンショットが矢のように飛び、逃げ場はなかった。いわゆる“ダブルスタンダード”という言葉が、何度もタイムラインを横切った。
さらに決定的だったのは、当事者であるベネズエラ側の声だ。「独裁から解放されるならありがたい」「恐怖が薄れた」といった反応がある、と紹介されるたび、批判の矛先は鋭くなる。
彼らが守るべきだと言う“人権”の当事者が、別の感情を示している。そこを見ないふりをした瞬間、説得力が崩れ落ちた。
「国際法を盾にするなら、国連が機能不全になっている現実も語るべきだ」──そんな冷静な指摘も増えていった。感情のスローガンではなく、制度の限界と代替策を求める声。テレビや新聞の断面を鵜呑みにするな、一次情報に当たれ、という“情報戦の作法”まで共有され、炎上はいつの間にか講義のような様相を帯びた。
結局、この騒ぎで浮き彫りになったのは、米国の是非だけではない。誰を厳しく批判し、誰には沈黙するのか。その選別が透けた瞬間、人々は「正義」ではなく「立場」を見抜く。X民の“論破”が痛烈だったのは、罵倒ではなく、矛盾を淡々と照らし出したからだ。
そしてタイムラインには、ひどく静かな結論が残った。――「声の大きさではなく、一貫性こそが信用だ」と。
これが、ベネズエラ問題が日本のネット世論に突きつけた、最も重い現実だった。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=LOYtiA6Qz8Q,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]