「全額の奨学金を借りるために、私たちは離婚しました」
そう告げられた瞬間、私は言葉を失った。二十年以上連れ添い、今も同じ屋根の下で暮らす夫婦が、子どもの進学のためだけに“法律上の他人”になるという。愛情も生活も何一つ変わらないのに、制度の条件を満たすためだけに離婚届に署名する――この矛盾こそが、彼女たち家族の現実だった。
彼女は若い頃、約四百万円の奨学金を背負い、三十代の終わりまで返済に追われた。その間、妊娠を避け、義実家からの「まだ子どもはできないのか」という無言の圧力に耐え続けたという。ようやく四十歳を目前に授かった一人息子は、まさに人生を賭けて得た存在だった。
だが高校三年生の冬、私立大学への進学費用を調べた瞬間、現実は再び牙をむく。入学金、学費、下宿代を合わせると四年間でおよそ七百万円。共働きとはいえ貯蓄には限界があり、区役所で相談した彼女に返ってきたのは、「ご両親とも収入があるため、全額奨学金の対象にはなりません」という一文だった。
その夜、彼女は机に一枚の離婚届を置いた。「このままじゃ、あの子は私と同じ地獄を見る。
だから、私が一人親になる」
夫は反論しなかった。ただ黙って署名した。
今も三人で同じ食卓を囲む。名義上は壊れた家族、現実には守られ続ける家族。彼女は静かに言う。「卒業式の日まで、この秘密を抱えて生きます。それが、親としての責任ですから」
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