結婚して8年になる。夫の陽介とは大学時代からの付き合いで、お金のことでもめたことは一度もなかった。家計は半分ずつ出し合い、貯金も一緒に管理してきた。
変化が起きたのは、陽介が課長に昇進した去年の春からだった。
「これからは、家計は俺がまとめて管理する」
ある夜、食卓でそう告げられた。理由を聞くと、「給料が上がったんだから、お前は安心して任せればいい」とだけ返ってきた。
戸惑いはあったが、家族のためだと思い直し、私は自分の給料も夫名義の口座に入れることにした。通帳も印鑑も、夫の机の引き出しにしまわれた。
それから数か月、生活に大きな変化はなかった。ただ、貯金の増え方が、以前よりゆっくりだと感じるようになった。
「ボーナスは?」と聞いても、「ちゃんとやってるから大丈夫」と、はぐらかされるだけだった。
違和感が確信に変わったのは、先月、夫の実家の片付けを手伝ったときのことだ。
押し入れの奥から、結婚前に夫が使っていたという古い手帳が出てきた。何気なくめくると、几帳面な字で数字が並んでいた。
家賃、生活費、そして——「兄に200万円」。
日付は、私たちが結婚する前の年だった。
夫にお兄さんがいることは知っていたが、お金のやり取りがあったことも、その後どうなったかも、一度も聞いたことがなかった。
その場では何も言わず、手帳をそっと元の場所に戻した。
家に帰る車の中で、私はずっと考えていた。隠していたことそのものより、「家計は俺が管理する」と言った夜、夫が本当は何を守ろうとしていたのか。
その夜、いつものように通帳の話を避けようとする夫に、私は初めて自分から切り出した。
「私たちの口座、また別々に戻さない?」
夫は驚いた顔をした後、しばらく黙り込んだ。
「……お前に心配かけたくなかっただけなんだ」
小さな声で、そう言った。
すべてを聞き終わったわけではない。兄との貸し借りがどうなっているのか、まだ分からないこともある。
それでも私は、無理に問い詰めることはしなかった。代わりに提案したのは、これまでのように「どちらかがすべて管理する」形ではなく、それぞれの口座を持ちながら、共通の生活費用の口座を新しく作ることだった。
夫は少し考えて、「それなら、俺も安心できるかもしれない」と頷いた。
8年間、私たちは「一緒にいれば大丈夫」だと思い込んでいた。でも本当に必要だったのは、大丈夫かどうかをちゃんと話し合うことだったのかもしれない。