休日の穏やかな午後、スマートフォンの激しい着信音が静寂を破った。画面に表示された名前に、私は思わず眉をひそめる。
「直樹」
わずか2ヶ月前に離婚届を提出し、完全に縁を切ったはずの元夫からだった。用件などあるはずもないと思いながら恐る恐る電話に出ると、受話器の向こうから怒声が響き渡った。
「おい!親父の手術代400万円、早く振り込め!手遅れになってもいいのか!」
耳を疑うような言葉に、私の頭は一瞬真っ白になった。挨拶も前置きもなく、いきなり大金を要求してきたのだ。義父が病気であることには同情するが、この横柄な態度は婚姻関係にあった頃と何一つ変わっていない。
深呼吸を一つ挟み、私は極めて冷静な声で言葉を返した。 「直樹さん、私たちはもう2ヶ月前に離婚したの。確かにお父さんとは仲が悪かったわけではないけれど、今の私にとってはお父さんもあなたも赤の他人よ。私が手術代を払う筋合いはどこにもありません」
すると、直樹はさらに苛立ちを募らせ、信じられない屁理屈を並べ立ててきた。 「たった2ヶ月前の話だろ!書類上は他人でも、気持ちの上ではまだ家族同然じゃないか!冷酷すぎるだろ、見殺しにする気か!」
自分勝手にもほどがある。婚姻中、直樹は私の実家を一度も見舞うことすらなく、家計も自分の趣味と見栄のために浪費し続けていた。その借金や浪費癖に耐え兼ねて離婚したというのに、困った時だけ「家族」の絆を盾に都合よく私を利用しようとするその神経に、静かな怒りが湧き上がってきた。
私は感情的にならず、一言一言を噛みしめるように彼へ問い返した。
「じゃあ、一つ聞かせて?私があなたの父親と関わったのは、結婚していた5年間だけ。でも直樹さん、あなたは生まれてから今日までの33年間、ずっとお父さんの息子だったよね?本当に父親が大切で、命を救いたいと心から思うなら、他人である元妻に頼るんじゃなくて、息子であるあなた自身が知恵を絞って助けるべきなんじゃないの?」
電話の向こうが、ピタリと静まり返った。
直樹の荒い息遣いだけが聞こえてくる。彼はいつもそうだ。誰かに依存し、責任を押し付け、いざ正論を突きつけられると言葉に詰まる。
「自分の給料や貯金、あるいはローンを組むなりして工面しなさい。それが33年間育ててもらった親に対する、息子の役目でしょ」
それだけを淡々と告げると、私は言い訳を待たずに通話を切った。そして即座に連絡先をブロックし、二度と繋がらないように設定を済ませる。
窓の外に広がる青空を見上げながら、私は深く息を吸い込んだ。胸の奥に残っていた過去のしがらみが完全に消え去り、自分自身の人生を歩み直すための確かな一歩を踏み出せたと実感した。