昨夜、玄関のドアが開く音がした。
「ただいま」
いつもより少し小さな声だった。
リビングにいた私は、夫の様子を見てすぐに何かあったと気づいた。
手にはケーキの箱。
でも、表情は明らかに落ち込んでいた。
「どうしたの?」
そう聞くと、夫は少し間を置いてから言った。
「ごめん……転んじゃった……」
そして、ゆっくり箱をテーブルの上に置いた。
私は嫌な予感がした。
箱を開けると、その予感は的中した。
真っ白なクリームは片側に寄り、スポンジは崩れている。
プレートも少しずれていた。
普通なら「なんでこうなったの?」と言ってしまう場面かもしれない。
でも、その瞬間、私は別の記憶を思い出した。
数年前のクリスマス。
まだ息子が小学生だった頃のことだ。
その日、息子は朝から楽しそうだった。
「僕がケーキ取りに行く!」
いつもより張り切っていた。
お店まで歩いて行き、大事そうに箱を抱えて帰ってきた。
ところが、玄関に入った瞬間。
息子の顔が曇った。
「……」
そして小さな声で言った。
「こ、転んじゃった……」
その時も、恐る恐る箱を開けた。
すると、中のケーキは今回の夫のケーキとそっくりだった。
クリームが崩れ、形が少し変わっていた。
私は当時のことを思い出して、思わず笑ってしまった。
「ちょっと待って」
「これ、前にも見たことある」
夫は不思議そうな顔をした。
私はスマホを取り出して、昔の写真を見せた。
そこには、数年前の息子と、崩れたクリスマスケーキが写っていた。
夫は写真を見た瞬間、目を丸くした。
「え……同じじゃない?」
本当にそっくりだった。
持ち帰る途中で転んだこと。
申し訳なさそうに謝る姿。
崩れたケーキ。
何もかも似ていた。
「親子って、こんなところまで似るんだね」
私はそう言うと、夫も苦笑いした。
「まさかケーキの運び方まで遺伝するとは思わなかった」
もちろん、ケーキは綺麗な状態ではなかった。
でも味は変わらなかった。
家族で少しずつ形を整えながら食べた。
むしろ、普通のケーキより記憶に残る時間になった。
息子にも写真を送ると、すぐに返信が来た。
「お父さんもやったの?笑」
その一言で、また家族みんなで笑った。
失敗した瞬間は、本人にとっては申し訳ない気持ちになる。
せっかく喜ばせようと思って買ってきたものなら、なおさらだ。
でも後から振り返れば、その失敗も家族の大切な思い出になる。
完璧なケーキよりも、少し崩れたケーキのほうが何年経っても覚えていることもある。
昨夜のケーキも、きっと何年後かには笑い話になっているだろう。
「お父さんも転んだケーキ事件」
そう言って、また家族で笑う日が来ると思う。