「今日は私がごちそうするね」
そう言われて、高円寺の小さなイタリアンに入った。
俺の誕生日が近かった日。
でも正直、祝われるような立場じゃなかった。芸人としての収入はほぼゼロ。バイトで繋いで、夢だけがやたら大きい、そんな時期だった。
食事は楽しかった。
彼女はよく笑って、俺のくだらない話をちゃんと聞いてくれた。
そして会計の時間。
俺は財布の中身を頭の中で確認していた。
足りるか、ギリギリか。そんな計算をしていたら——
テーブルの下で、膝をチョンチョンと叩かれた。
彼女がそっと小さな紙を握らせてきた。
一万円札だった。
俺が顔を上げると、彼女はいつもの笑顔で言った。
「それでお会計お願いします」
その瞬間、意味がわかった。
“彼女が払う”んじゃない。
“俺が払う形にしてくれた”んだ。
店員の前で、俺の立場を守るために。
胸の奥が、ギュッと掴まれたみたいになった。
情けなさでもなく、嬉しさでもなく、もっと深い何か。
この人は、俺を下に見ていない。
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