「なぜ勝った日本の監督が、我々にお礼を言うんだ」
二〇二六年六月、メキシコ・モンテレー。ワールドカップ一次リーグ、日本対チュニジア戦の直後、現地の人々は森保監督の会見を見て、静かに言葉を失った。
この試合は、ワールドカップ通算千試合目という特別な一戦だった。スタジアムには五万人を超える観客が詰めかけ、日本の青いユニフォームに混じって、開催国メキシコの緑のシャツがあちこちで揺れていた。
試合開始前から、客席には大きな声が響いた。
「ハポン、ハポン」
スペイン語で日本を意味するその声は、次第に大合唱となり、完全アウェイのはずの会場を日本のホームのように変えていった。鎌田の先制点、上田の追加点、伊藤のゴール。日本はチュニジアを四対ゼロで下し、歴史的な大勝を飾った。
しかし、世界が本当に胸を打たれたのは、スコアではなかった。
試合後の会見で、森保監督は日本のサポーターに感謝を述べたあと、言葉を切らずに続けた。
「緑色のシャツを着た多くのメキシコの方々が、日本を応援してくださいました。本当に感謝しています」
勝者が誇るのではなく、開催国の観客に頭を下げた。その姿に、現地記者たちは驚いた。
森保監督はさらに、スペイン語で「グラシアス」と添えた。短い一言だったが、その響きは会見場の空気を変えた。
その夜、モンテレーの年配の男性ミゲルは、五十八年前の記憶を思い出していた。一九六八年、メキシコ五輪。地元メキシコを破り、日本が銅メダルを獲得したあの日、敗れた観客たちは最後に「ハポン」と叫び、日本の戦いぶりを称えた。
半世紀以上が過ぎ、その声援は再び同じメキシコの地でよみがえった。敵としてではなく、友として。ミゲルは、スタンドに響く日本コールを聞きながら、目元をそっと拭った。
感動は会見だけで終わらなかった。日本代表が去った後のロッカールームは、驚くほど整えられていた。タオルは畳まれ、ゴミはなく、ホワイトボードにはスペイン語で感謝の言葉。
そして、テーブルには折り鶴が二つ置かれていた。
勝ってもおごらない。使った場所をきれいにして返す。応援してくれた人へ礼を尽くす。
森保監督が見せたのは、戦術や勝利だけではなかった。三十三年前、ドーハの悲劇で涙をのんだ一人の選手が、監督となり、今度は世界に日本の品格を示したのだ。
四対ゼロの大勝よりも、人々の心に残ったもの。それは、勝利の夜に深く頭を下げた森保監督の姿だった。
引用元:https://www.youtube.com/watch?v=mPKmJBdRKFY&t=45s,記事の削除・修正依頼などのご相談は、下記のメールアドレスまでお気軽にお問い合わせください。[email protected]