「葬式無用、戒名不用」。これは、"とにかくカッコいい男"と称された白洲次郎が遺した、たった三行の遺言である。
太平洋戦争の敗戦後、彼は吉田茂首相の側近としてGHQとの交渉にあたった。相手の強気な要求に対し、イギリス仕込みの流暢な英語で主張すべきところは断固として主張するその姿は、連合国軍に「従順ならざる唯一の日本人」と言わしめ、一目置かれる存在だった。
そんな白洲が、軽井沢のゴルフ場の理事を務めていた時のこと。当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだった田中角栄総理の秘書が、何の紹介状も持たずにプレーの申し込みにやってきた。しかし、白洲にとって相手が総理大臣であろうと関係ない。「ここは会員のためのゴルフクラブだ。メンバーかその紹介がなければプレーできない」。彼はそう言って、けんもほろろに追い返した。
これに腹を立てた角栄本人が、負けじと直接電話をかけてきた。しかし、白洲の答えは変わらず「NO」。時の総理大臣でさえ、彼の信念を曲げることはできなかった。角栄は渋々諦め、他のゴルフ場へ行ったという。
相手が誰であっても、己のプリンシプルを貫き、毅然とした態度で接する。
それこそが、白洲次郎という男の生き様そのものだった。